錦糸町は近隣に東京スカイツリーが開業するなど発展し続けている街ですが、かつては錦糸堀と呼ばれていた歴史があります。
街の過去にも目を向けて、歴史を感じながら錦糸町で暮らしてみませんか?
そこで今回は錦糸町周辺で賃貸物件をお探しの方に向けて、錦糸堀と呼ばれていた歴史をご紹介いたします。
錦糸町の歴史を知ろう!名前の由来となった錦糸堀とは?
錦糸町は平安・鎌倉時代にかけて、葛西からなる海岸線に連なる中州として、小さな島が拡大して陸地となったのが始まりといわれています。
江戸時代に入ると「火事とけんかは江戸の華」という言葉があるほど火事が多くなり、1657年に起きた明暦の大火を機に、火除け地として開発が進められました。
明治時代に入ると一帯が「錦糸堀」と呼ばれていたことから、「本所錦糸町」と称されるようになります。
なぜ錦糸堀と呼ばれていたかは諸説あり、以下のような由来が考えられています。
●この地に三味線や琴の糸を作っていた家が何軒かあったから
●東西に通じる堀であるため朝日と夕日で照らされる水面が金の糸のようだったから
●岸堀がなまったから
1911年に町名改正がおこなわれ、本所錦糸町から錦糸町となり、現在の形へと発展していきました。
錦糸町の歴史を知ろう!錦糸堀に関連する七不思議「おいてけ堀」とは?
錦糸町の名前の由来となった錦糸堀は、「本所七不思議」という江戸時代の怪談のひとつである「おいてけ堀」の舞台としても知られています。
このおいてけ堀があった場所は錦糸町をはじめ、江東橋や亀戸などさまざまな場所が推測されていますが、実際は特定の堀ではないとされています。
その理由は民俗学者の柳田國男氏が執筆した「妖怪談義」という著書において、江戸のおいてけ堀などのお話は、昔話というより、ある時期に作られたものだと考察しているからです。
このおいてけ堀の怪談話から、地域の方々が「妖怪のかっぱで町おこしをしよう」と盛り上がった結果、錦糸堀公園にはかっぱ像が建ち、観光スポットとなっています。
とても可愛らしい姿をしたかっぱ像なので、ぜひ一度お立ち寄りになってご覧ください。
また錦糸堀は歌舞伎の舞台にもなっています。
先ほど錦糸堀と称された由来は不明だとご紹介しましたが、歌舞伎の舞台にする際に、おいてけ堀では話が締まらないから別名を考えたという説もあります。
このように錦糸町の名前の歴史を考えると、ロマンがあって面白いですね。
おすすめ物件情報|錦糸町の物件一覧